昭和44年9月28日 夜の御理解



 今日は、えー、昼後の5時からでしたか、あの串原の教会で青年会の幹部の集い、それに、ここからは、永瀬さんと、それから秋永先生と二人が、まぁ青年、青少年とか、または青年会の育成といったようなことで、まぁ色々、もうとにかくあの手この手をもってするんですけれども。
 いわば今日何かも、せい、青年会のソフトボール大会のようなことがあって、何かその、こうえさを作ったようにして、すると集まってくるけれども、教会には全然集まらないというのが、まぁ一般教会の現状なんです。
 ならどうすれば、その教会の発展を、教会ではない、青年会。または少年少女会の育成という事が出来るか。そりゃ何処もやっぱり色んなことをして、その駆り集めるけれど、駆り集めたのはもう直ぐ散ってしまうとこういうわけですね。
 という、そういうようなこと。どうすればその、まぁ青年会が活発になるかといったような話し合いが今日あったんですよ。
 それでもう、実をいうたらもう私は、馬鹿らしいことだと、総代さん方は、あー、(行ったもん、五百円も出さにゃ?)そして、自分で夕食頂いていかんならんと。まぁ夕食をはさんでなもんですからね、まぁ青年会の方は二百円といったようなです、その会費を取って、まぁ今日集われたわけですけれども。
 本当に、まぁ合楽の場合なんかは、どげんすりゃ少年少女会が、その集まるじゃろうかと、も考えた事もなからなければ、どげんすりゃ青年会が活発になるじゃろうかなんていうことも思うたことも、願うたこともないのですよ。もう自然そうなってくる。
 例えば、親が信心する。やはり子供が、兄弟が、あー、そのやっぱそれについて来る。おのずとそこへ、一つの若いもんは、若いもんの信心の集いが出来て。しかも椛目時代からもう20年間、その出来て消えたことがないのです。
 他所ではそれを作っても消え、作っても消えするらしいですね。ですから、そげな風ですから、うち当たりは、その会合に行ったところでですね、まぁ一つもその何にならんような感じがするわけですよね。
 ほれでわざわざその、まぁ永瀬さんやら秋永先生当たりらのよい、まぁその、黙っていってさえおればよかつなら、誰でんよかごとあろう。もうこの次ぎから、そのわざわざまた行かんなら行かんで出来るだけもう、二人とか一人ぐらいにして。打ち当たる、そういうことにかたるあれはないんだなというようなことを、感じたんです。思うわけですよね。うち当たりが行ってもなんにもならんのですよ、実際は。
 又しかもなら、そこで話されるという事というのが、まぁ合楽の者にはピンとこないことばっかりなんですよね。ですから、そんなこと、今私が言う、御祈念の座で思わせて頂いたんですよ。
 そしたら、今私御祈念前にあの、★「天と地と」という、あの映画がありよりますよ。あの、上杉謙信、武田信玄のまぁ映画です。あの上杉謙信という人は、もう全然このはかり事という事をしなかった武将らしいですね。
 戦の駆け引きといったようなことを、もう本当に、もうまともから、もうとにかく実力でという、真面目にという生き方一本で行った人らしいです。ね、そのことを、そこに今頂くんですよ。
 本当に私共が、天地の親神様をいわば拝ませて頂いておる。天と地とじゃないですけれども、本当に天と地ほど、いわば正確無比、又は実意なものは、方はなかろうと思うんです。私がそこに、まぁいうなら、人間心を使ってですね、いうなら、駆け引きというですか。もうそげん(つういっぱい?)なことしなくても、他所当たりとの付き合いの時にはまぁ、演出してですたいね。その出てもらうようになら、(ほんに?)したらどうだろうかと思ったことは。
 今はです、そういうことでは、そういうことは必要ではないと。やはり神乍らに秋永先生が、やはり、と永瀬さんと、が例えば今日は行かれたが、一番良かったんだというようなことを頂くんですよ。
 だから私共、お道の信心させて頂く者は、この駆け引きとか人間心といったようなものを、やはり使う、使わんところに、合楽の信心があるのですから。例えばなら、青年会を育てるために、ね、さぁなんか青年が好きなようなダンス、ダンスパーティーをやるとか、レコードコンサートをやるとか、色んなそのおもろしいことをやるとか、そして集めるといったようなことではなくてです、もう真剣に青年達の集いというのは、必ず、やはり信心を求めての事。しかも日参りにお参りしておる、青年の人達が中心になって、あぁいう活発に、合楽の場合はおかげ頂いておるのでございますから。
 まぁそれが、外部に働きかける場合の、でも、なら人間、もうあちらが、行ったってつまらんから、こちらも手加減するといったようなことは、神様の心に反する事だというようなことを、まぁお気付け頂いたんですけれどもね、これはもう全てのことにおいて同じこと。
 ね、駆け引きとか、または人間心とかという心ということはない。やはり何時もが一端の真をこちらが表していきゃ良い。そのことが向こうに響く響かないは問題じゃない。問題は自分自身がおかげを頂くためにも、やはり成り行きを大事にしながら、天地の働き共にですね、私共の動きというものも実意をもって働きかけなければいけないといったようなことを、改めてね、今日頂いたんですけれどね。どうぞ。

梶原 佳行